コンパス持っても行方不明

趣味嗜好の百貨店。たまに意匠の違うものが並ぶかも。

昔とった杵柄

今週のお題「表彰状」

小学校二年生の頃、運動会をテーマにした絵画コンクールで県の特選を受賞。百貨店という建物に初めて足を踏み入れました。その頃は褒められるのが好きで絵を描いていましたが、昼休みに絵を書いていたところで同級生の友人に「下手くそ。俺のほうがうまくかけるわ。」と言われ大号泣。絵画への苦手意識その一。

その後学年が上がって大きな画用紙いっぱいに上靴を模写しろという図工の授業で「きれいに加工としてるのは分かるけど、紙の大きさに対して明らかに絵が小さいわ。」と当時の担任に言われ、憂き目に。絵画への苦手意識その二。

結局写し書き以外でうまく絵を描く術が身につかなかったことや、詳細にこだわりすぎる結果、拡大した絵をかけないという悩みは消えず、小学校中学年以降は完全に絵を描くことが嫌い・苦手になりました。

それ以外だと小学校一年生〜四年生まで行っていた少年剣道。

一年生の頃はあまりにひ弱で力もスピードもなく、県警でバリバリ竹刀を振っていた還暦過ぎの先生からはさじを投げかけられたこともありましたが、母の献身的なサポートと先生のすすめで子供用のサプリメントを飲みだして多少体つきが良くなり、二年生になると急に飛び込み面と引き面・引き胴を武器に戦えるようになり始めました。

 

先生からも「フットワークが見違えるほど良くなった。入ったばかりの頃はどうしようもないと思うほどだったけど、とても成長した。」と言われるほどになった結果、人生二度目の個人戦(町主催の大会)でなんと銅メダル獲得。団体戦では次鋒として優勝に貢献。

その後三年・四年での個人戦では勝負弱さ、プレッシャーへの苦手意識、立ち上がりの悪さから最低で一回戦敗退、最高で四位でしたが、周りが強いこともあってか団体戦では複数回優勝も経験。

 

だいたいポジションは次鋒か副将の「負けても大丈夫な複数番目」だったのも心理的負担が少なく、のびのびと戦えることが多かったのも功を奏しました。上述の通り、立ち上がりが非常に悪いので大体一回戦は一人負け(しかも一本もとれずに二本負けという完全敗北)が決まっており、面越しに見る剣幕な母の顔をアレほど見たくないと思ったこともありませんでした。

しかし勝ち上がっていくに連れ引き分け、一本勝ち・二本勝ち・ひいては一人勝ちと尻上がりに調子を上げるのも決定事項だったので、勝ち上がっていくごとに心持ちとモチベーションが高まっていくのが自分でもわかっていきました。初戦で大敗を喫し、剣幕な顔つきで詰め寄る母も一緒に勝利を喜んでくれるなどしてくれたので、なんとか一安心です。

心持ちとしては某プロ野球選手の「やってやろうじゃねえかよ!!」のようなものでした。

以降中学では野球部に入部するもポジションスコアラー・ベンチウォーマーで表彰や試合出場にも縁遠く、高校では漢検2級を高1で取得しクラス内表彰、英検2級を高2で(こちらは学内トップ合格)取得して職員室で表彰。教科担当兼担任の英語教師の「学内トップ合格だったけど、3年のメンツ考えてこういう形の表彰になった。」というのは納得行かなかったなぁ。

以降10年にわたって表彰されるようなことはありません。紅白とか出てみたかったなぁ(戯言)。